謎のブログ

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阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間~命と向き合った被災記者たちの闘い~

 阪神淡路大震災から15年。

 罹災者でもないのに、そうキーを打つと涙があふれてくる。不思議なもんだ。

 昨日見たフジテレビ土曜プレミアム特別企画阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間~命と向き合った被災記者たちの闘い~」を見たからかも知れない。

 

 とてもいい、ドラマだった。

 櫻井翔君の下手な関西弁は・・・まあ、笑って許そうか(笑)

 でも、そんなことは小さく思えるぐらい、作品の出来がよかった。

 ドラマというか、ドキュメンタリードラマ。

 阪神・淡路最震災で大打撃を受けた神戸に所在する新聞社・神戸新聞も例外なく新聞発刊機能がほとんど壊滅した。そんな中で、新聞を発行させるための情熱と戦いを描きながら、カメラマン達が撮り、記者達が経験した・見た事を通して阪神・淡路大震災の惨状とその後15年たった現在を映し出し、阪神・淡路大震災とはどんな物であったのかを視聴者に訴える。

 そんな感じだったか。いかんなぁ、上手く文章で書けないや。

 

 なかでも、涙無しに見られなかったのがカメラマン達の葛藤。

 傷ついた人達にカメラを向ける。当然、「こんなとこ撮ってて何考えとるんじゃ!」と言ったような非難もされる。非難よりも、やはり良心の呵責があってシャッターを切ることが出来ない。

 けれど、カメラマンとして写真を撮らなくてはならない。新聞を発行するために、後世に記録を残すために、シャッターを切らなくてはならない。

 その葛藤。

 傷ついた人にカメラが向けられなくて、隠れながら被災現場を歩く女性カメラマン小藤。

 京都に行ったものの現場が撮りたくて戻ってきたはずなのに、現場の惨状とやはり惨状にある人々を撮ることが出来ず、シャッターが切れなくて悩み苦しむ主人公・三津山。

 そんな同僚に憤りを覚え、「後生に記録を残すために撮るんだ!」と吠えて三津山達とつかみ合いの喧嘩を巻き起こす金居。

 その金居だっただろうか。

 焼け跡を這いつくばって何かを探す少年に何をしているのかたずねると、

「お母さんを捜してる」

との答え。少年の手元を見れば、鍋の中に遺骨が入っている。

 カメラマンは泣きながら言う。

神戸新聞です。写真を撮らせて下さい」

 そして、震える手で泣きながらシャッターを切った。

 それから、一緒に少年の母親の遺骨を捜す・・・。

 そのシーンが深く心に残った。

 そんな、苦しい思いをしながら撮って下さった写真は、鮮明に我々に震災の無惨さ悲惨さを伝えてくれる。

 変な話、人間というのはそう言う惨状を見なければ知らなければ「助けよう」と気持ちは起きないだろう。地震という物がどういう物であるのか知っていなければ、自分が居る場所から離れた別の場所で起きた地震に救いの手を差し伸べることはしないだろう。

 そう考えると、記録という物は非常に大切な物である。

 そして、震災の写真がそのように葛藤のなかで撮られたことを私は知らなかった。ちょっと考えれば分かることなのに、考えたことがなかった。

 今度からは、そう言った写真を今まで以上に大切にじっくりと見て、何かを感じようと思う。それが、撮ったカメラマン達への礼儀と感謝の気持ちだ。

 

 私にとっての阪神・淡路大震災阪神高速の倒壊現場の映像だ。

 震災が起こった当時、私は浪人生だった。

 前日受けたセンター試験の自己採点に基づく結果を予備校に取りに行く日だった。

 明け方の揺れで目を覚ましたが、その時点では詳しい状況が報道各社にも届いておらず、テレビで放送されるのは「震源地京都」の報だけ。そこから情報が動かないのでもう一回寝て、起きてリビングのテレビを見たら阪神高速が倒壊している画面が映っていた。

 常識で考えられるだろうか?

 高速道路が倒壊するなんて!!

 それが、今でも一番強く心に残っている阪神・淡路大震災だ。

 大阪にいながら、ボランティアにも行かなかった自分を結構恥じていた。今でもちょっと、後悔している。神戸の人達に済まないな、と言う気持ちを長いこと持っていた。

 そんなわけだから、悲惨な状況を生で見てはいない。

 受験で宝塚を電車で通過したときに半分崩れた建物を見たぐらいだろうか。あの時は、車内からどよめきの声が上がった。

 そういえば、震災後一作目の宝塚歌劇を見に行った。

 ボコボコになった花の道のわきで栄屋さんがプレハブで営業してたっけ。花の道の脇は所々更地だったような気がする。

 

 阪神・淡路大震災から15年

 ああ、やはり涙がこみ上げてくる。

 私でこれなのだから、罹災者の方々の気持ちはもっと・・・。